Edinburgh Festival Fringe - (The Reel) Macbeth
2014/08/09
Reelというのはスコットランドの伝統的なダンス。手を上げて、ステップを踏んだり、スキップのような動きで並んで移動したりする、楽しげなダンス。
それがマクベスの悲劇とどうつながるのかを楽しみにしていたのだが、結局、場をつなぐだけのダンスに終わる残念な出来だった。
カレッジの学生たちによるシェークスピアをみながら、役者の身体性というのもについて考えさせられた。
学生であること、若者であることの身体性が、あからさまに見え隠れする限り、舞台の上の世界は現実に引きずられてしまうのだった。そこには悲劇性もなければ、フィクショナルな世界も構築されることはない
もし、The Reelという楽しげなダンスがマクベスの登場人物の狂気とつながるような表現であれば、面白い出来になったのではないかと感じ、余計に残念だった。
(Edinburgh Festival Fringe) - The HandleBards: Macbeth
2014/08/09
一日に2本目のマクベス。昨日のThe Comedy of Errors と同じパフォーマー。昨日の雨模様と打って変わって見事な晴天。受付の女性に、「また来たよ、今日はいい天気だね、演目は悲劇だけれど、」と話すと、「でも十分楽しいわよ」と答えた。
その通り、今までにないくらい笑えたマクベスだった。しかし悲劇は悲劇、決して作品を茶化すような笑いではなく、狂気さえも感じる見事な舞台。
マクベス役の演者だけが、他の役を演じることなく一人マクベスだけを演じ、他の三人が、全てのほかの登場人物を入れ替わり立ち替わり演じる。そのためマクベスという中心人物の演出にぶれがない。レディーマクベスも含めて全て男性が演じるというのも、実はシェークスピアの時代と同じスタイル。シェークスピアのテクストの普遍性と、演出の無限の可能性に感嘆した。こんな演目が見られるからフリンジはやめられない。
Edinburgh Festival Fringe - The HandleBards: The Comedy of Errors
2014/08/08
以前から見たかった、シェークスピアの喜劇。
野外、植物園の芝生の上、たった四人で演じる、2組の双子の取り違えのドタバタ喜劇。一人何役かわからなくなるほどの役を見事に楽しく演じ分ける、見事な役者の技量に、大いに笑った。
最初は傘を差して見ていたけれど、やがて雨は上がり、なんともまあ晴れ晴れしい気分の、双子の再開と、家族の和合の大円団。
4人の役者は自転車に全てを積んでヨーロッパをツアーで回っているという。
もう一度見たいので、早速翌日のMacbethのチケットを買った。
悲劇をどう演じるのか楽しみだ
春の準備
2014/04/03
今までで一番寒かった冬が
やっと終わった
砂漠の国からやってきた僕の車は
マイナス15℃の冬を経験して
さすがにあちこち悲鳴を上げている
ここは山の中なので
なんとか自分で直すほかないけれど
幸い時間はたっぷりあるので
晴れた日には
土の温かさを背中で感じながら
車の下に潜り込む
Give and Take
2013/08/07
モースの贈与論を読みながら
与えることと取ることについて考える
どちらにも、自分と相手の2者が必要で
さらに2者の関係性に影響する
そして、与えたり、取ったりする「もの」
の存在が欠かせない
自分がこれまでに与えたものと
取ったものを総和すると
プラスマイナスどちらだろうか
生まれた時に与えられた命は
死ぬ時に取られて差し引きゼロになる
僕らはその間にささやかなプラスマイナスを繰り返して
喜んだり悲しんだりしているのだ
retreat
2013/08/01
いろいろなものに
煩わされないような
場所に移りたいけれど
そうもいかないとき
僕はまだ
いつでもどこでも
遮断された環境を
作り出せる達人ではないから
つまらないことで
時間つぶしをしながら
その時を待つことになる
場所を変えなくても
待てばその時はやってくる
待たなくても
呼び出せるように
なりたいものだけれど