憎悪と嫌悪は質的に違う
2010/09/30
パレスチナには憎しみがあって
その地に立つと、それはとても根源的な
もののように思えた
ここに来てからで感じているのは
憎しみというよりも
恨みつらみ嫉み妬み
そんな感情だった
それは憎しみとは
別の場所から来ているように思える
ここ最近、日本から発信される
いろいろな意見をネットで読んで驚いている
憎しみや、恨みというものから
発現したようには見えない
嫌悪という感情を
たくさん感じたからだ
いったいこれだけの嫌悪が
どこから来るのか
僕はその理由がわからなくて
ただ恐ろしさを感じた
でもそれは
好きになったり、愛したりという感情が
どこからくるのかわからないのと
同じことかもしれない
だとすれば
恐れなければいけないのは
その感情の生まれる場所や理由ではなく
その感情が故に
自分が盲目になってしまう
ことなのだと思った
その地に立つと、それはとても根源的な
もののように思えた
ここに来てからで感じているのは
憎しみというよりも
恨みつらみ嫉み妬み
そんな感情だった
それは憎しみとは
別の場所から来ているように思える
ここ最近、日本から発信される
いろいろな意見をネットで読んで驚いている
憎しみや、恨みというものから
発現したようには見えない
嫌悪という感情を
たくさん感じたからだ
いったいこれだけの嫌悪が
どこから来るのか
僕はその理由がわからなくて
ただ恐ろしさを感じた
でもそれは
好きになったり、愛したりという感情が
どこからくるのかわからないのと
同じことかもしれない
だとすれば
恐れなければいけないのは
その感情の生まれる場所や理由ではなく
その感情が故に
自分が盲目になってしまう
ことなのだと思った