contact of the day

September 2003

August 2003

July 2003

2003/08/31

もう来ないかもしれないと思っていた島に
3年経って、再びやってきた。
大気も、海も、緑も、ここはあまりにも
全てが澄み切っている

オフロード

2003/08/30

偶然が重なって
スコットランドランドローバークラブがやっている
地元のオフロードレースを観ることが出来た
広大な丘陵地帯に造られた手作りのコース
草の上に寝転がって、大人の遊びを見た
小さなオフロード車が転がるように走り廻る
どこまでも見渡せる草原

天気雨

2003/08/29

雨が降っているからといって
躊躇しているわけにはいかない
いつのまにか降り出したように
いつのまにか止んでいる
スコットランドでは
天気を行動の基準にしてはいけない。

虹の見えた日

2003/08/28

フェスティバルはもうすぐ終わり
夏も終わろうとしている
一日中晴れている日は少なくなった
雲と空と太陽の
役割がゆっくりと入れ替わっていくように
ゆっくり確実に秋がやってくる
今日はきれいな虹が見えた

通学路

2003/08/27

短かった3週間
学校に通うのはとても楽しかった
遅刻しそうになって走っていても
ジョギングしているようにしか見えない
のんびり歩いていると
そのままどこまでも
歩いていってしまいそうになる
2003年、夏の通学路

世界を創るには

2003/08/26

ひとたび、役者が演じはじめると
そこに世界が立ち現れる
演劇の喜びは、そんな瞬間に立ち会えること
その世界は作り手と観客のおたがいで共有され
意味を与えられる
世界を創るには、想像力のほかはなにもいらない

Return

2003/08/25

いい舞台に出会った後は
観るもの、聴くもの、全てが
どこかでその舞台と繋がっているような気がして
いま自分の立っている場所すらも
ステージのように思えてくる。

Old Long Ago

2003/08/24

今年で54年目を迎えた
エジンバラ・ミリタリー・タトゥー
今夜は3週間続いた今夏の公演の最終日
僕の右隣の人はアメリカから
左隣はニュージーランドから
お互いに手を取って、口ずさんだ
Auld Lang Syne (スコットランド民謡)

ひんやりとした風

2003/08/23

教会のひとつで行われている
St. Petersburgから来た舞踏団の公演
終わって外に出たら
太陽はとても眩しく、空は高く青く
風は少しひんやりとしていた。
観ている間どこかに連れていってくれるだけでなく
観終わった後、世界が少し違って見える
すばらしい公演でした。

悲劇の後に

2003/08/22

エジンバラの街をそのまま舞台にしてしまう
世界でただ一つのマクベス
今日は今年の公演の最終日。
演じきった後のみんなの顔は
ほんとうにうれしそうで
心からの拍手と、笑顔の交った瞬間

かもめ

2003/08/21

チェーホフの「かもめ」を観た。
自分の戯曲が人に理解されないと嘆く主人公は
2年後に自殺をする。
大学の時に戯曲を書いていた僕は
10年経ってエジンバラで「かもめ」を観ている。
絶えず笑いを誘うような舞台の中で
笑わなかったし、笑えなかったのは
主人公だけだったことに気がついた。
「かもめ」を読んだのは、10年前だけれど
そのことには気がつかなかったし
こんなに「笑える」芝居だとも思っていなかった。

スコットランドはイングランドではない

2003/08/20

スコットランドの人たちは
自分達の国を愛していることを
臆せず口にするし、アピールもする
長い歴史の中で、常に敗者側だった
という理由を挙げる人もいれば
ナショナリズムに繋がらないという意味で
政治的にそれが大きな意味を持たない
愛国心ととらえられているようでもある。
そんなふうに「愛する」ことのできる場所に住める
スコットランドの人が少しうらやましかった。

石の細胞

2003/08/19

古い壁は、砂岩で出来ていて
もろくて崩れやすいので
保護するのが大変だという話を聞いた。
この傷や、あのくぼみは、
10年前のものなのか、100年前のものなのか
どれだけの壁が、消えていったのだろうか
崩れては、置き換えられる
街の細胞

路地の誘惑

2003/08/18

迷い込んでみたくなるような
見知らぬちいさな路地に入って
突然、人通りが途絶えたり
見たことのない風景にでくわしたり
そうやって、不思議な路地を通り抜け
いつもの場所に出てきても
なぜか前にいたのとは
違う世界に来たような気がする。

OPEN MIND

2003/08/17

チョークで直接、壁に書いてあるのは
芝居のタイトル、劇場名、日時。
街に溢れるポスターやチラシ
200ページにわたるプログラム
300近い会場、1500を越える演目
街を歩き、ページをめくり、
耳を澄まし、目を凝らし、
その「一本」を見つけだすのだ。

ニーベルンゲンの指環

2003/08/16

Dress Circle J-13 番の座席で観た
地元のScottish Operaによる
ワーグナーのオペラ「神々の黄昏」
3年前から毎年一本づつ上演され
今年は最終章の「神々の黄昏」をふくめ
一週間で4部作が一挙に上演となった。
同じ席で4夜続けて観たという観客も多く
観客にとっても、上演側にとっても、特別な夜
鳴りやまない拍手は、どこか暖かかった。

急ぎ足

2003/08/15

高くそびえる建物には古い塔が多く
あちこちに時計塔があるのだけれど
ちょっと時間がずれていたり
止まったままの時計があるせいで
示している時間をあまりあてに出来ない。
時計を持ち歩かない僕は
開演時間に間に合うだろうかと
いつしか急ぎ足になる。

ストリート

2003/08/14

朝から晩まで
街のいたるところに溢れる音楽。
歌ったり、叩いたり、吹いたり、弾いたり
それでもあんまりうるさいと感じないのは
そのどれもが、録音した音では無く
ライブだからなのかもしれない。
音が溢れるというよりも
表現のパワーが溢れていて
道行く人たちも、それをちゃんと受け止めている。

二足歩行

2003/08/13

借りているフラットから大学までの道のり
コンクリートの階段、アスファルトの道路
湿った土、やわらかな芝生、古い石畳
足の裏に伝わってくるいろんな感覚が
歩くのは楽しいことなのだと教えている。

幕間

2003/08/12

劇場の客席が、日常と非日常の間にある空間なら、
幕間は、日常と非日常の間にある時間
ワーグナーのオペラ、ワルキューレ、
第2幕と第3幕の幕間
神話の時間と空間をどっぷりと共有しながら
いろいろな感覚が宙に浮いたままの
幸せな待ち時間

エジンバラフェスティバルだより(4)

2003/08/11

二人コント。「Riduculusmus」きっととても才能ある人たちなのだ、間合いだけでもけっこう笑えたし、ホームページもかっこ良かったし、、
しかし見事に失敗した。何をしゃべっているのかほとんど分からなかった。
パンフレットで調べて、きっとこれはフィジカルな、体をつかうコントにちがいないと思って選んだのだが、
(解説をもっとちゃんと読めば良かった、、)
舞台には2本のスタンドマイクと、シンセサイザー、サンプラー、エフェクターなどがあった。
お客さんは20から30人程度。少ないお客でも、拾い物というのがけっこうあるのがFringe
(小劇場系のエジンバラフェスティバル)なのだけれど、、
ところどころにシンセやサンプーでサウンドエフェクトが入る、二人のしゃべくり漫才、、みたいな感じだった。
お客はそれなりに笑っていた(特に女性)でもそんなに盛り上がらなかった。
ま、こんな日もある。

エジンバラフェスティバルだより(3)

2003/08/11

「LOFT」という舞台をみた。
一人の舞踏家によるパフォーマンス、
ステージとほぼ同じ大きさのスクリーンがバックドロップとなって
いろいろなイメージが映し出される。
主に舞台で踊っている舞踏家その人が映し出されるのだが
そこにいろいろと仕掛けがあって舞台と映像とのからみが面白い。
タイミングが見事で、舞台に映像を合わせているのか、映像に舞台をあわせているのか、
わからなくなる。そういう意味では作品としてとてもうまく融合している。
けれど目の前で踊る肉体よりもいつのまにかスクリーンの方に目がいってしまうのはどうしてだろう。
目の前の役者が何をするかよりも、スクリーンに何が映るかということに期待がいってしまうのだ。
もちろん自然とそちらに目が行くように、演出されているのだろうけれど、、、
映像は時に、照明や装置のかわりにもなれば、主役のかわりにもなる。
メディアとしての映像が、舞台上でその本領を発揮しはじめると、
生身の役者でさえ食われてしまう可能性があるのかもしれない。

ウィンドー

2003/08/11

いつも気になって立ち止まるけれど、
外から覗くだけで、中に入ったことはない
古道具屋のショーウィンドウーには
次に誰かに使われるのを
ここでちょっと待っているだけの
古い物たちが
所狭しと置かれていました。

日常

2003/08/10

朝ご飯を作る。
芝生の上を歩く。
今日のプログラムに面白そうなものがないか探す。
プールに泳ぎにいく。
芝居を見る。
スーパーで安売りの惣菜を買う。
晩ご飯を作って食べる。
明日から始まる英語のコースのために鉛筆を削る。

エジンバラフェスティバルだより(2)

2003/08/09

今日もなぜかフランスの劇団だった。「Theatre O」は3年前に観た「3Dark Tales」 がとても良かったので、今回の「The Argument (A family Portrait)」にも期待。役者は4人。かなり「変」な家族のメンバーをそれぞれが演じる。
やっぱりおもしろかった。ラストに向かうエピソードの積み上げ方と構成、キャラクターのバランス、役者の動きの見事さなど、とてもレベルが高い。そしてラストシーンでは死の重さをずしりと感じる。死よりも絶望的なものはありはしないのだ。なんて、とてもシリアスな舞台のようだけど、しっかり笑える。いや、笑えるからこそ、その重さも感じられるのかも。セリフは前より多くなって聞き取るのは大変だけど、気にしないで見ているだけでもちゃんと楽しめる舞台でした。

エジンバラフェスティバルだより(1)

2003/08/09

Monty Python’s Flying Circus
なんとあのイギリスの伝説のコメディー「モンティーパイソン」をフランス人がフランス語で、舞台でやるのだ。放送されたエピソードの中からいくつかを、内容もほとんど変えずに、、、
「おち」はみんな知っている。それでも笑えてしまうのだ。それは他ならぬ「モンティーパイソン」の凄さなのだった。20年以上前のコントを再現して、ちゃんと笑えるというのは凄い。舞台が終わった時のお客さんの拍手には、なんだか本家の余裕のような妙な暖かさを感じてしまった。

2003/08/09

そこかしこにある芝居小屋だけでなく
通りにまで溢れ出る表現者たち。
朝から晩まで、途切れること無く
パフォーマンスは続き
流される汗、かけ声や笑い声、拍手とおじぎ。
表現する人と、観る人が一緒につくる「場」が
数えきれないほど生まれ、
そんな「場」が街全体を包み込んでいるのが
8月のエジンバラです。

都市歩行術

2003/08/08

観光客でごったがえす、エジンバラの街中
今日見る予定の芝居のチケットだけを持って、
ぶらぶらと歩いた。
人込みの中は、砂漠とは違う
自分の足下だけを見ても、歩けないし
遥か遠くを見ていても、歩けない
必要なのは、小さな目的を決めて、
今、歩いてゆく方向を定めること。

2003/08/07

今までだって、夏休みのようなものだったのだけれど、
やっと夏休みが始まったような気がしている。
今日のエジンバラは、快晴。
夏の太陽とひんやりとした風と、街中を飛ぶかもめ。
安い航空券だったせいで、
2日かけて、飛行機に4回乗ってきたけれど、
そのせいで、ずいぶん遠くまでやって来た気分、
けれどここは知らない遠くの土地では無く、
この時間、この場所に、帰ってきたという気がしている。
一年ぶり、4度目の夏のスコットランド。

祝福された時間

2003/08/07

午後8時の夕陽は黄金色に輝いていた
高緯度地方の夏
なかなか夜がやってこないから
なかなか一日が終わらない
そんな日の長い夏は、ほんの短い期間しか続かない
この場所にしかない、春夏秋冬のリズムの中に
この場所にしかない、祝福された時間がある。

ナット・キング・コール

2003/08/06

エジンバラで借りた古いフラット
棚にあった古いレコードを聴いてみた
久しぶりに聴く、レコード針の音
古い街の、古いアパートメント
目を閉じたまま、
目の前で演奏されているようなJAZZを聴いた。
日本から遠く離れた場所で、
時間もどこかに移動したように感じた瞬間。
このまましばらくは、
どこにも戻らなくてもいいのだ。

ローマ、フィウミチーノ空港

2003/08/05

早朝の空港は出発の人々でごった返している。
それでもどこか気持ちがいいのは、
今まさに出かけようとする人たちから
うきうきするようなラテンな気分が
伝わってくるからだろうか。
イタリアに来たのは初めてで
トランジットで一泊しただけなのに
体のどこかでわずかにキャッチした
「ラテン」な感覚に
またいつか呼ばれるような気がしている。

富士山

2003/08/04

神輿を上から見下ろしてはいけないように、
この山を上から見てはいけないんじゃないかと思っていた。
外国から日本に帰る度に
いつもきまって眺めてみたくなる。
これほどまでに美しいものが、
国の真ん中に当たり前のようにあるということが
なんだか奇跡のようだ。
飛行機から眺めても、やはり畏れ多い
出発の日に空から見た、夏の富士山

2003/08/03

梅雨が明けて、蝉が鳴き始めた。
外国で暮らしいて、日本に帰る度に強くなる想いは
日本で季節を感じられることの素晴らしさだ。
「今日、蝉が鳴いてたよ。」「夏だね。」
たわいもなくそんな会話が出来て、
何かを相手と共有できる。
それが素晴らしいことに思える。