魔法のコトバ
2007/05/29
久しぶりに秋葉原で会って食事した友人の
誘いのメールの文面には
なぜか「打ち合わせ」というコトバ
海の見える家
2007/05/28
洋画家の大家さんが小さな個展を開いた
会場はニューヨークで知り合ったという方の
山と海が見えるとても開放感のあるお宅で
「絵を描く気が起こらなくなりそう」なほどの
すばらしい眺め
パーティーの料理は
ジャマイカのジャークチキンやら
自家製肉骨茶(バクテー)やら
どれも旨すぎる
石垣島でキャンプをしたという人と
砂漠の月の話をしたり
シーカヤックとクロスカントリースキーの
共通点を発見したり
世界は広すぎると感じた一夜
Yokosuka Story
2007/05/26
横須賀をドライブする
助手席に座る友人のiPodを繋げた
カーステレオからは
80年代の歌謡曲が流れだす
町並みがなんとなく80年代に見えてくる
街から山へ、山から海へ、次々と通り抜ける
タイムトンネル
ラジオ
2007/05/15
昼の間はラジオをよく聞いている
音の向こうに人がいる感覚がして
不思議な安心感があって
ラジオはラジオなのだなと
あらためて感心する
国境の街、冬の一日
2007/01/06
1999年の特別な日
皆既日食がおこったあのちいさな街には
やはりあの家族が今でも住んでいて
7年と5ヶ月ぶりの訪問を暖かく迎えてくれた
最初に知り合った歯科医の長男は
(ヒッチハイクで彼を村まで乗せたのが知り合ったきっかけだった)
小児科医の奥さんと、今ではアルメニアで暮らしているという
弟たちは変わらず、子供達の数は増えて
お父さんもお母さんも、みんな元気そうだった
以前と変わったことといえば、携帯電話の番号を交換したこと
弟が持ってきたSony製デジタルカメラで
みんなで記念撮影をしたこと
そして撮った写真を
eメールで送る約束をしたこと
温かい昼食をごちそうになっているころ
冷たい雨が、みぞれから雪に変わってゆく
アレッポまでは所々、強い雪や、雨、みぞれの中
真っ暗闇のロストハイウェイ
結局6時間以上かかってたどり着いた
真冬のチグリス川
雪を抱くクルディスタンやトルコの山並みは
やはりとても遠い場所だけれど
縮められない距離と
縮められる距離がある
特別な一日のことを思い出すのでなく
遠く隔てられた場所でも、何処も同じ
今日という日常があることを想像するのだ
7年5ヶ月
2007/01/04
1999年の8月、あの時太陽を隠した月は
今日は満月となってカミシリの街に輝いていた
アレッポから5時間ほどのドライブ中
道と風景をすこしづつ思い出しながら
けれどどうしても彼の名前だけは思い出せなかった
果たしてあの家は見つかるだろうか
あの家族はまだいるのだろうか
あのときと同じCDを聴きながら
明日の朝、国境の街に向かおう
戦士の末裔
2007/01/03
正月に訪れたシバリエ城で
地元の村に里帰り中という青年が声をかけてきた
彼のおじいさんは昔この城の敷地の中に住んでいて
先祖は、この城で戦った戦士の一人なのだという
一人遺跡でのんびりとしたかった自分の
予定は完全に狂わされてしまった
一人で退屈しないのかと訪ねる彼に
全然退屈しないよと答えながら
同じ問いを返すと
一人は退屈だと彼は答えた
風は冷たいけれど、真冬にしては暖かい日差しと
ゆっくりと横切る雲の影
城は沈黙している
僕は彼とぽつぽつ話を交わしながら
城はまだずっとここにあるのだから
またこようと思った
温故知新
2007/01/01
アラブで迎える何度目かの新年
元日になって、一日じっくりと
JORUTEN.netのリニューアルをした
contact of the dayをのぞく
ほぼすべてのページが新しくなった。
1999年、しし座流星群のページを
最初に作って以来の
大掛かりなリニューアルになったが
外見はほとんど変わっていない。
古いソースコードを片っ端から書き換えながら
古いコンテンツを読んだり、写真を見たりしていると
コンテンツは古くならないのだということに
気がついた。
変わることと新しいことは違うし
変わらないことと古いことは同じではない
日々進んでゆく技術や
新しく刷り込まれてゆくいろいろな考え方の隣で
コンテンツはじっとしている。
そこに居続けることが
一番大切なことだと気がつく機会が
昨年あったことを思い出した
今年はどんなことに気がつくだろうか
過去や、経験や、かつての想いは
そんな未来のために、じっとしている。
007
2006/12/18
シネマアレッポという映画館で
007の最新作を見た
今までに見たことのないジェームスボンドで
今までに見たことのない007映画だった
007映画の、ジェームスボンドが窮地で見せる
「余裕」みたいなものが大好きだったのだけれど
そういうシーンはあまりなかった。
いろいろな意味で、痛みや哀しみをリアルに感じはしたけれど
007というファンタジーからは離れた気がした
それは時代の空気を
反映したからなのだろうか
映画館を出て、アレッポの夜の街を
歩きながら考えた
想像もしない世界が広がるという意味では
ここも別の場所から見れば
ファンタジーの世界かもしれない