ものつくりの自由
2004/04/27
画用紙は
いつも四角くて真っ白だとは限らないし
絵の具は
いつも全色揃っているとは限らない
けれどそれは
創作の自由さとは
別のものだと思うのだ
冬眠
2004/04/23
春が来て
いろいろなものが少しずつ
動き始めた気がする
自分も少しずつ
動いているので
何だか冬眠から覚めたみたいな
気もしてくる。
原付バイクのスピード
2004/04/19
頭を空っぽにしたかったので
近くのプールに行った。
泳ぐことはそんな気分のときにはうってつけなのだ。
けれど、いつもの公営プールは閉まっていた。
今にも雨が降りそうな、ぬるい春の空気の中
原付バイクで横須賀の街を1時間ぐらい走り回って
少し気分がさっぱりした。
スピードで何かを振りはらった気分になったのは
初めてのことかもしれない。
みえない暴力
2004/04/16
目に見えない暴力というものがある
それは確実にある
暴力を振るう方も
振るわれる方すらも
そのことに気がつかない
そして傷だけが深くなる
気がついたとしても、ただ自分の無力さに立ちすくむ
けれど、そんな暴力になすすべがなくても
自分がなすべきことはある
それは確実にある
検索窓
2004/04/14
インターネットはまるで、図書館のようだと思うことがある。
まるで辞書を引くように
わからないことは、とりあえずネットで検索して調べてみる。
知りたいと思った疑問が
解決するまでの時間がとても短くなったような気がする。
けれど最近は、ネットで調べてもなお
わからないようなものがあったときに
初めて知りたいという気持ちがわき起こってくるような気もする。
その一方で、知ったところで、それは身についたわけでもなく
身につけるにはやはり、それなりの時間と経験が必要だから
そういう労力は敬遠して、とりあえず知っておく、というところで
済ませてしまうことも、多いような気がする。
幾度となくあの検索窓に入力してはリターンキーを押して
今までに僕は、何を知ったというのだろう。
退屈な日常
2004/04/13
日常的ではないできごとがいろいろと起こった。
そんな日々が続くと、あんなに退屈に思えた日常が
とても貴重な時間だったように思える。
けれど、非日常の小さな芽やそこで出来てしまった実は
今までの、そしてこれからの日常の中にしっかりと取り込まれていて
それに気がつかないことを、退屈というのかもしれない。
かたち
2004/04/06
「かたちにこだわるな」とか
「かたちから入る」とか
ひとはいろんなことをいう。
かたちから入ると
ハズれたところから入って得られるものがあることに
気がつかない
ハズれたところから入ると
かたちから入って得られるものがあることに
気がつかない
どこから入るかではなくて
何を得るかが大切だというのに。
残り物には
2004/04/05
朝起きると吐き気と熱
どうやら食あたりをしたようだ
昨日の晩に食べたものを思い出す、、、
とても悲しくなったのは
おなかが痛いからでなく
明日も、明後日も食べられると思っていた
残り物をみんな処分しなくてはいけなくなったから