悲しいこと
2001/05/24
きのう、うちで飼っていた犬が天に召されてしまいました
彼女は「エリ」という名前のシェルティ(シェットランドシープドック)です。
この犬は、弟が大学生のときにペットショップで買ってきて、最初は自分で世話するといっていたのが、いつのまにか、親に押し付けてしまったのでした。
そのころ、うちの両親はそのふってわいたお荷物に、かなり困り果てた様子だったのを思い出します。
でも、今ではその犬が死んでしまってとても寂しそうです。
いつも会社にいこうとする僕に、行くなとばかりに足元にまとわりついていた彼女がいなくなってしまうと、さみしいものです。
いまごろは、天国にいるのでしょうか、
アナログデジタル
2001/05/22
東京で観た「2001年宇宙の旅」の再上映、普段VTRやらLDやらDVDやらで見なれていると思っていたのだけれど、映画館で見たら全然違った。
デジタル的にいえば画面の解像度が格段に違う。フィルムの粒子の情報量には、どんなデジタルメディアだってかなわないんじゃないかと思えた。30年前の映画なのに、、。
でもそれは情報の量ではなくて情報の質のような気がする。デジタルは確かに便利だ、でも便利な他に何があるんだ?
デジタルで何かを製作する時の落とし穴ってそこにあるんじゃないかなあと思う。MP3、MD、CDやらのデジタルメディアに出せない音をアナログレコードはしっかり出しているし、当時の見事な録音にはそんな音がしっかり残されている。
進歩ってなんだろう、品質ってなんだろう「デジタル品質」にはだまされまいぞ!
最後のシーンでスターチャイルドと「目線」があった瞬間、思い出すと今でも「ぞっ」とする。
並縫い
2001/05/21
縫い物をしました。
クッションを冬色から夏色に変えるために、昔買い込んでおいた生地を切って、クッションカバーを作ったのです。
ミシンなんてないし、普段は縫い物なんてしません。だからとても簡単なつくり方で、ただひたすら並縫いを60cmX4回。けれどこれがはまりました。あーきもちいい単純作業、、、って感じで、今までカラダに足りなかった何かが満たされた気がしました。
無事クッションカバーは出来上がり、こんどは何を縫おうかときょろきょろしています。
2001年夏の新色はこんなのとこんなのです。
ii weekend !
2001/05/20
First weekend since coming back from Austria.
Day1 - Woke up at 12.30pm, reading, night-jogging, listening to CDs, overall "yukkuri-shiteiru" day.
Day 2 - Work till 2pm, meeting old friends, love-letter from japan, photos, mocha icecream and coffee...
so far a pretty good weekend, (i think)!
バーラの神様
2001/05/19
2日目:ジョルダンといえばスーク(市場)。ぺトラ、ワディラム、アカバ、、、観光地は一杯あるけれど、私のイチ押しは、やっぱりスーク。それもバーラ(used shop)。
Tちゃんお勧めの空き地の前の店からスタート。今日は2日目だから軽くウォーミングアップ、、、のはずが、おおおおお、、、、、降りてきた。
一店目から私に語りかけるバーラの神様。勝手に目がいく足が動く手がのびる。
しめて5点で、**JDから交渉開始。久しぶりの交渉売買に、「腕が鳴る〜」じゃなくて「舌が鳴る!!」。店の兄ちゃんと微笑みを交わしながら、、、壮絶な戦いが繰り広げられるのであった。
##JDで決着。あ〜楽しいっっつ!!
バーラの神様はバーラを愛する者の見方。ムフフフ、、、、、フッツ!
来客1より
2001/05/18
一日目:1年ぶりのS宅。インテリアがグレードアップして、ホントに偉くなっていたのね。私の本業は「調査」なので髪を振り乱してやらなくっちゃいけないんだけれど、この家ってなんか落ち着くのよね。
ま〜来客1と言ってもようは、居候なんだけど、、よくバックパッカーであるじゃない「働くから、一泊泊めて下さい」ってやつ。
Sさんは、そんなサドじゃないから「すみませんね〜」と言ってくれるけど、「本当は、日本でスポーツジムに行くかわりに家事をやって運動しているだけだから」とは、言えないし、、、
あれ?何しにジョルダン来たんだっけ?
来客
2001/05/17
今、家に久しぶりの友達が来ています。
1人は日本から、1人はジョルダンから。
そんなわけで、今日はこれだけ。
想像力
2001/05/15
また、パレスチナの方が少し緊張して来ているようです。
「xx人が死傷」という文字に、恐ろしくも慣れてしまう。
実感できないということでは、日本でも、隣の国でも同じこと。
世界はみんなどこかでつながっているのだろうけれど、
それを実感するにはメディアでなく想像力が必要です。