2001年11月19日/しし座流星群@JAPANleo

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2度目のしし座流星群はどこで、どんなふうに見ようか、ずっと考えていた。その時期に日本にいるのは確実だったから、きっと見えるとは思っていたのだけれど、どこで見るかが、なかなか考えられなかった。奇跡の起こる場所を選ぶなんてとても難しい選択だと思ったのだ。逆にいえばそれはどこでもよかったのかも知れない。1等星すら怪しい東京の夜でも、富士山頂の雲の上でも、流星は同じように降るのだから。

いつも頭について離れないのが、2年前、ジョルダンの砂漠で見た流星雨だった。時間が経てば経つ程、イメージはかえって強烈になっていく。早い話、あれほどの好条件で見られる瞬間は2度とないだろうと思ってしまっているので、今年は日本で、一時間に8000個とか15000個とかいわれても、どうでもいいやって感じになってしまうのだ。

一緒に行った友人は翌朝当たり前のように仕事なので、行きと帰りの所要時間を計算しながらとりあえず高速道路に入り車を走らせる。都内から2時間半、千葉県房総半島のとある岬で、僕は2001年のしし座流星群を見たのだった。

今回は2年前に見たのと比べて、明るい流星が多かったような気がする。数はよくわからない、観測結果は発表されていて、こまかな分析がなされているのだろう。空を見ていた時間は3時15分の前後1時間ぐらい。雲も結構あった。南には海が見え、その海に向かって無数の流星が落ちていく。予測され、計画され、演出された世界にあって、いつどこにあらわれるのかわからない流星がそれでも無数に流れていくのを見るのは、とても不思議な気分だった。あたりまえのことだけれど、世界をコントロールすることなんて出来はしない。 僕らは偶然を意味付けることはできるかも知れないが、偶然を演出することはできないからだ。

帰り道、早朝の首都高速を運転していたら、まだ明けない群青の空を切り裂くように白く流星が走った。まるで一瞬空が裂けたようにも見えたその光景は、強く印象に残った。運転中で、たまたま目に入った一瞬の流星、千の流星よりもその一つの流星に、なぜか「出会った」、という気がしたのだ。

どんなに素晴らしいことが起こっていても、それに出会わなければ、意味がない。そこにいて、それが起こっていても、出会えないということはあるのだ。一期一会という言葉があるが、その瞬間といかに出会うことができるかは、自分自身にかかっている。出会うというのは英語のDiscoverに近いかも知れない、居合わせることの先に、Discoverがあるかどうかは、その世界に参加出来るかどうかの分かれ目かも知れない。

何十年、何百年、何千年に一度だから、それはすごいことなのだろうか。そんなことはない。首都高の流星を見ながら、いつもの東京の街が、これだって充分、奇跡のような風景じゃないか、なんて思えたのだった。


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